体育会系の由来
実家では・・・では、どうして私が家族に認められる体育会系になったのかという話題にもなった。
小学生の頃に原因があるのは家族みんなが認めるところだ。
もともと体育の授業大嫌い。
運動会は雨で中止にならないかと祈りながら寝ていたくらいの女の子。
そこへ小学5年生のとき、違う学校からうつってきた体育の先生が担任になった。
体育の教え方にはとても優れた先生で、テレビの取材がくるほど。
私たちの担任になったときにも跳び箱を跳べない子を跳べるようにするというテーマで3ヶ月でだれもがとべるようになる過程を取材に来た。
もちろんそのときまではわたしも跳び箱は3段も跳び箱の真ん中にすわってしまうような人だったんだけど、その先生の指導のおかげで3ヵ月後には見事7段とべるようになって跳び箱の上で前転ができるようにまでなりました。
おかげで他にもハードルもとべるようになったし、縄跳びも二重飛びを連続でできるようになったし、なにより運動が好きになった。
この先生との出会いが私を変えたといってもいい。
体育の授業も好きになり、高校では体育の成績だけは必ずトップの女の子、大学はご存知の通り体育会系の大学に進むことになり、今に至っては強制でもないのに自ら走っている人になってしまった。
小さいときの先生、人の出会いって大きな影響を与えることもありますよね。
あの先生に会わなかったらもっと女らしい女性になっていたかもしれないと考えると・・・せんせぇ~責任とってよ~(笑)
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